umiyuri111のブログ

就活を始めた地方公立大の大学生。自己分析をするにあたり、「自分の気持ちが分からない」「自己主張できない」を整理するために始めました。

やりたいこと。

 ご無沙汰しております。
久々にブログ更新しました。


 ようやく4月になりましたね。
私の地元の東北も春を迎えましたが、寒い&強風で外出しないこともあり、全然春って感じがしません。丁度この時期は桜も開花し、ジョギングするのが楽しい、もっと高揚感を感じてもいい頃なのに。


 それもそのはず。今年1月頃から中国のコロナウイルスの影響で、現在も全国各地で新型肺炎の拡大が深刻化。また、それに伴い公共施設の休業や学校の始業開始の延期など、私たちの生活のいたるところで影響が出ています。
 私も就活生の立場ではありますが、東京で開催予定の会社説明会や選考が急遽オンラインに変更になったりなど、在宅での就活を余儀なくされています。


 致死率が高いのは私たち20代の若い世代より、免疫力が低下した高齢者の方々といわれています。私の住む地域ではまだ東京ほど蔓延していないため、正直どこか楽観視してしまっている自分も否めません。しかし身内にもうすぐ90を迎えるおじいちゃんを持つ身としてはやはり他人事ではなく、何としても自分や家族への感染を阻止しなければ、という思いもあります。


 そんな数日間引き籠り状態の私ですが、無事就活が終わったらやってみたいことがあります。正確に言えば、コロナの影響であまりにも鬱々とした状態が続いているので、「やりたいことリスト」を考えて明るい未来を思い描こうと奮闘している最中なのですが。


◎私のやりたいことリスト
□日本中の農村巡り&農家さんの手伝い
 去年休学しようか悩んでいた際に相談に乗っていただいた起業家の方が農業関連の事業を立ち上げているので、そのプログラムに参加して農家の方と交流してみたいと考えています。
□北海道帯広市で農業バイト
 大学1年&2年時に北海道の帯広市で数日間の農業インターンシップに参加したことがあり、その際にお世話になった企業の方を経由して帯広の農家さんの所でアルバイトしたいと考えています。
□民泊
 中学校の夏休みに家族旅行で岩手県の岩手山の宿泊施設で民泊したことがあり、いつかもう一度体験してみたいと思っていました。時間のある学生のうちにもう一度やっておきたいな。。
□TOEIC受検しておく
本当は3月に受験する予定だったけれどコロナの影響で中止になってしまいました。。学生のうちに少しでも自分の可能性の幅を広げておきたいので、機会を見て勉強を進める予定です!


その他にも、


□銀山温泉旅行
□東京の原宿で占い体験
□気仙沼観光
□学生フリースペースでのセミナーへの参加
□読書
□関西まで遠出してみる
□植物園の観光
□海外インターンシップで出会った学生との繋がり
□エステサロンを経験
□山形の友人の家に泊まりに行く
□おじいちゃんを車に乗せてドライブ


等々


やりたいことってじっくり考えるとこんなにも沢山出てくるんだな、ととても嬉しくなりました。
 元々は海外志向で留学生と交流したり自分が海外に赴く体験をすることに意欲的だったのですが、最近はもっと身近な部分に向き合い、楽しんでみたい思いが強いです。


 先が見えなくて不安な時だからこそ、気分を高めて前向きな状態になれるようにすることも必要なのだと実感しています。卒業まで順調にいけばあと1年。勿論コロナの影響が長引いて断念せざるを得ないことも出てくる可能性もあるでしょう。だけれど、先のことにワクワクしながら生きることが出来れば、こんなに素敵なことはないだろうな、と感じています。
 今は出来る事から少しずつ実践あるのみ。
では!


                                 ミミズ使い

痩せてきたっぽい(不健康な意味ではありません)

 ご無沙汰しております。
そろそろアウターなしでは出歩けない季節になってきましたね。
半年前に更新した以降、ブログ継続詐欺の状態になってしまっていたので、久々に。
ミミズ使いは休学しようか悩みながらも、とりあえずは就活真っ只中です。


 ところで最近、色々な人から「痩せた?」と聞かれます。
ええ、はい、痩せました。
正確に言えば、痩せてきたっぽい、というのが正しいけれど。


 具体的な数値を出すと体型がばれるのと、ダイエットの宣伝みたいになってしまうので詳細は伏せますが、BMIが


1年前→23スレスレ
現在→19台


になっていて、体重がピーク時よりも9キロ近く減量していました。
こういうと大抵驚かれますが、絶食とか無理なダイエットをしているわけではありません。
 ただ変わったことと言えば二十歳になる前よりも全体的に食欲が減った点、以前よりも朝の見た目の準備に時間がかかるようになった点でしょうか。
前期と比べて1限から講義の日が減り、余裕をもって通学できるようになったので、その分の時間を服選びやヘアセットに回している感じです。


 自分で「あ、やっぱり痩せたんだ」と自覚するのは高校時代に持て余していた服を着こなせるようになったことでしょうか。
お腹周りや肩の部分がきつきつなためクローゼットの奥に封印していた服もすんなり着れるようになったことは純粋に嬉しいな、と思います。


 けれど、問題は食が貧しくなってしまうこと。
本当に食欲がない時は冷蔵庫にあった残り物を「とりあえず」ばりに味わうことなく消費してしまうので、空腹は満たせても精神的な満足度は低いままですね。


 やや願望も入ってしまうけれど、これからクリスマスに自分以外の誰かと一緒にケーキを食べたり、お正月で就活の合間にTVを観ながら小倉とずんだでお餅の食べ比べをしたりしたい時期。
そんな時、食欲に忠実になるのもいいけれど、それよりも私は「食べること」を楽しめたらいいな、と思うんです。
だから、あえて食欲は意識しすぎないようにしています。
色々考えなければいけないことも増えたり忙しい時期ではあるけれど、自分の理想のスタイルに向き合いながら考えた上で「食べること」を楽しめたらいいな。

ミミズ使いの過去②~自己主張しなくなった理由~

◎「~だったと思う」「~だった気がするんだけど・・・」が口ぐせ
◎大事な場面で自己主張することを躊躇してしまう
◎あるいは最初から自己主張すること、また言い返すことをしない


 これは私が最近になって強く自覚するようになり、悩んでいることです。
 その原因に対してwhy?を繰り返すと、やっぱり最後に家庭での経験が影を落としていることに気が付きます。


  謝ってるのに許してくれない?
 母親の中での私という存在は「自己中で役立たず、おまけに意固地で聞き分けの無い、どうしようもない子供」という事になっていました。(というよりかは母親がそういうことにしたかった?)
 私を根っからの悪者に仕立て上げることで「正しいことを言っているまっとうな母親」ポジションを保ちたかったのでしょう。
そうすれば私を「感情のゴミ箱」にすることに躊躇しなくて済むだろうし。
 母親は一度機嫌を損ねると、ありとあらゆる否定の言葉で私の人格を弾圧してきましたし、それは私が成長して口が回るようになればなるほど酷くなりました。


 高校3年か大学1年辺りで体力では私に勝てないと悟ってからは平常時でも嫌味をぶつけてきたり、内容がより一方的で理不尽なものになってきたように思います。
(↑この年齢までキレるとごく当たり前に叩かれたり掴みかかってこられたりしました。中高生の弟2人の方がすでに体格的に勝っていたので、彼らへの分の暴力も私にぶつけられる状態でした。)


父親が寝た後や不在の時に限り、2階の私の部屋までやってきては自分の行いを激しく責め立てられ、「お前はごめんなさいの一言も言えないのか!?」と、近所にも聞こえるほどの剣幕で怒鳴り散らされ。
 母親がこれ以上怒るのが、手を上げられるのが耐えられなくて必死に謝っても、


「どうせ謝れば済むと思ってんだろ!?」
「反省の気持ちがこもっていない!!」


 と、私が謝ることがかえって母親を逆上させるだけでした。
(私が泣きながら謝って母親の怒りが収まったのは過去に1回だけでした。)
 そればかりか、頭を殴られてよろけたり、突き飛ばされて壁に激突しても、


「あーわざとらしい!ほんとに嫌な子だねぇ」


と、これだけ私を痛めつけておいて自分は大したことをしていない、という態度でした。
 母親はきっと私に「ダメージは受けてくれるけど傷の付かない体のいいサンドバッグ」でいて欲しかったのでしょう。なぜなら私は母親にとって「感情のゴミ箱」「捌け口」でしかでなかったから。
 それでも私がほんの少し前まで反撃しなかったのは、まだ「親を殴ってはいけない」という良心が残っていたからです。周りの友人たちの影響もあり「自分を守らなければ」という気持ちが芽生え、一度本気で反撃して以降は、暴力を受けることはなくなりました。


 ここで言いたいのは、「謝ったのに許してもらえなくて辛かった」という旨ではなく。
 間違ったことをすれば叱られるのはごく普通のことだし、謝ったら許してくれて当然だと主張するつもりはありません。
けれど母親の感情に任せたあまりにも一方的な怒りは幼心に突き刺さり、長い間私を苦しめました。


 ネットで「母親 謝ってるのに許してくれない」で検索をかければ私と似たような例はたくさんあり、



これが世間の標準なのか、と人知れず絶望しました(笑)
(実際↑のような家庭が大半なのでしょうか?誰か今度教えてくれ\(^O^)/)


 とある海外インターンシップの一貫でベトナムで活動していた時、お世話になったファシリテーターの方にこんな言葉をいただきました。


 「人が怒るのは、その人がそうしたいからだよ。」


 この言葉でようやく母親が私を「怒りでコントロールしようとしていた」と、はっきり認識できるようになりました。
今までは自分に非があると認識していたからこそ、「叱る」のと「ただ感情に任せて怒りをぶつける」ことの境界が分からなかったのです。
 ファシリテーターの方から「今までずっと耐えてきたんだね。我慢しすぎて涙も枯れてしまうぐらい耐え続けていたんだね。」と温かい言葉をいただき、自分の中にこれだけの涙が残っていたのかと思うぐらい号泣したこと、その景色も今でも鮮明に覚えています。


・・・


 趣旨は少しずれましたが、私が自己主張しなくなったのは、自己主張すると弾圧されるのが当たり前の環境で生きてきたから。
でもその「当たり前」は、これから私が生きていく世界での「当たり前」ではない。


 今も昔受けた仕打ちを思い出して涙ぐむこともあるし、母親とは同じ屋根の下にいるにもかかわらず口も利かないで、お互いの存在を無視しあっているような状態です。
 まだ完全に自分に自信を持てたり自己主張が出来ていないと感じることも多いです。


 けれど。
 幸いお付き合いしている彼や大学からの友人知人を始めとして、私の生い立ちに理解を示してくれて受け入れてくれる人は多いです。
それが今の自分にとって何よりも支えになっているし、自分という人間が「親に虐待されていて、問題を抱えている人」という側面だけではないことに気付かせてくれています。


 今学期中は厳しいけれど、来学期以降は親元を離れて就活をしながら心に刺さったままのトゲを抜くことをしていければと考えています。
そうしたら今よりももっと多様な考え方が出来るようになってくるはず。
今日はこの辺で切り上げたいと思います。